第2回 JAM様 ストーリー1「JAMの誕生」

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第2回 JAM様 山川正則社長

第2回は、創業2001年、設立2007年の株式会社JAM 山川正則社長です。孔版印刷に特化されており、印刷通販、シルクスクリーン製版サービス、オリジナルプロダクトの開発、ECサイトやワークスペースでのイベント運営を行うなど、独自の事業展開をされています。今回よりさまざまな切り口でお話をお聞きしていきたいと思います。

現在のJAM

 

ストーリー1「JAMの誕生」

モトヤ→なぜ印刷を始めたのですか?

山川社長→あっ、それなんですが、僕は、まず、独立をしたかったんです。面白い会社をつくりたいというのが漠然とありました。具体的な業種として「広告業界」なら資金負担が少ないので初期の投下資本が少なくて済むと。学生の頃そう考えていました。そして、将来独立する日を逆算しながら就職活動していると、ノベルティをつくる会社が目にとまりました。

キャンペーンのおまけ商品などを作ったりする企業でしたが「これ、面白いなぁ」と思って入社をしました。ノベルティの会社には「デザイン」がありますし、「印刷」にも関わっています。そこで僕の意識が印刷というものに近くなってきたんです。

そのうち印刷会社に勤めるようになり「あぁ、印刷って面白いなぁ」と実感しました。もともと僕には30歳くらいで独立したいという思いがありました。当時の印刷って仕事の仲介をできる環境が整っていたんです。独立をしたいと考えると印刷に吸い寄せられるようになりました。

モトヤ→ご親族の方などで印刷に関係のある人がおられたんですか?

山川社長→全くいませんね。

モトヤ→それでは突然、ひらめかれたんですか?コレだっていう感じで。

山川社長→そうですね。いかに独立するのにお金を掛けずにできるかっていう感じです。就職活動をしていたときには何十社もの会社を回りました。そこにはたくさんの印刷会社、広告会社、デザイン会社がありました。

僕はノベルティの会社、アパレル副資材関係の会社を経て印刷会社に就職をしました。その印刷会社は家族的な雰囲気で仕事の裁量は自由にさせてくれていました。居心地よく面白いなぁと感じていたので独立を諦め、この会社で頑張ってどこまで大きくなるかやってみようかと考えていました。

そもそも独立をするというのは難しいものです。年齢と共に必要とするお金も増えていきますし、人生を賭けるのには勇気も必要です。そんな中、僕がちょうど30歳のとき勤めていた印刷会社が解散したんです。就職活動をしていたときに考えていた「30歳までに独立をする」という目標がありました。僕は勤めていた会社の解散により再びその思いが強くなり、このタイミングで独立したんです。

1999年9月に独立しました。その時JAMのもう一人の創業者になる人が同じ年の少し前6月か7月頃にリソグラフ1台をもって独立していたんです。当然僕はそのことは知らなかったです。僕はアパートの一室に事務所を設けパソコン一台で事業をスタートしました。

ある日、うちの事務所にポスティングがありました。「安くて早いスピード印刷でその日にお届けします」という内容のポスティングでした。「わぁ、すごいなぁ」って連絡をして話を聞くことにしました。そのあとお店に行ってリソグラフで印刷していることを知りました。

モトヤ→創業者のお二人の当初の関係はお客さんと営業マンだったんですね。

山川社長→そうです。そのときに知り合いになって意気投合したわけです。それで「僕、面白い会社を作りたいから、ぜひ一緒にやりましょう」と誘ったわけです。僕には印刷の経験がありましたが、もう一人の創業者にはその経験はなかったです。

当時、不動産屋さんのチラシを「スピード印刷」といって、リソグラフを使う印刷をやっていました。そのときにカラー刷りを希望するお客さんがおられたら紹介をしてもらうという感じで一緒にやっていました。それを2007年に「会社(組織)にしようっ」てもう一人の創業者に声を掛け設立したのが株式会社JAMです。

最初は小さなガレージから

 

モトヤ→JAMという名前はどこから来たんですか?

山川社長→もう一人の創業者は創業時から「スピード印刷JAM」というサービスをしていました。当時それぞれ別々に会社を立ち上げている状況でしたので、会社を一緒にやるのなら会社名をどうするかという話になりました。そのころ会社名を英語表記で登録できるようになってきました。

それだったら「JAM」って3文字で耳慣れがいいし「紙づまり」とか「セッション」という意味もあり、新しく名前をつくるよりそのまま社名に「JAM」を使おうということになりました。

モトヤ→小久保さん、知ってましたか会社名「JAM」の由来。
小久保さん→知ってました。でも社内で知っている人は少ないんじゃないでしょうか。

山川社長→もう多分知ってるのは小久保さんを含め設立当初の数人ぐらいじゃないかな。

モトヤ→僕も気になって調べましたが英語の「JAM」ってもっといい意味もあったんじゃなかったかな。

山川社長→そうですね。「セッション」っていう意味がありますし、「ジャムる」っていう紙づまりの意味もあり、しゃれも聞いてて、丁度いいなぁと思ってました。それと、当時は現在のようにここまでJAMっていう名前が多くなるとは思ってませんでしたね。

その翌年2008年にリーマンショックが起こりました。当時は2店舗体制で北店の他に堀江店というのがありました。そこは年賀状などを印刷する「スピード印刷JAM」の拠点として多店舗展開しようとしていたところです。「その日にチラシや名刺ができます」というふれこみでポスティングをしていました。リソグラフ印刷では、不動産のチラシや少部数の社内用印刷物やライブハウスのチラシなどを刷っていました。

リーマンショックの影響はあまりなかったのですが、気になることが起こり始めていました。当時、JAMでは名刺印刷をカラー1,575円、モノクロ999円でやってたのですが、ネット印刷というものがちょろちょろと出始めていました。この先の10年後を見たとき、価格競争に巻き込まれることが想像され「あぁ、これは勝てないなぁ」と思いました。ちょうどその頃、他がうちよりも安くなってきていましたから。

「これはもうやって行かれへんなぁ」と思いました。僕たち2人は当時のスタッフ5人に特徴のある会社をやりたいと伝えました。そして、従来通りのスピード印刷の安さ、速さの効率や量的な経済性の提供を重視した事業としていくのか、あるいは、クリエイターの応援、印刷を通じた遊び、楽しさなどに着目した事業を新たに提案して行くのかについて相談しました。

その時からクリエイターさんとはお付き合いがあって、デジタル孔版印刷機(リソグラフ)の特性である、ずれて、かすれるっという(あの、インクが落ちるんで)そういうところが面白いと喜んでもらってました。これはすごくうれしいなと思いました。

あるクリエイターさんは、ずれて、かすれて、インクが落ちるっていうのに、それでも「やってください。お願いしますっ」て言ってくれました。それだと(印刷とすれば)B級品なんです。通常であれば、ずれて、かすれて、インク落ちたら、商売にならへんし、市場にも出せない商品です。だけどクリエイターさんはめちゃくちゃ喜んでくれて「お金は出します、リスクは関係ない」っていうことを言ってくれましたし、作品もインパクトのある温かみのあるものができました。

こういった経験もあったので後者をメインにしてやろうということをみんなで決め2008年に事業の方向転換をしたんです。それで堀江店も約1年で撤退しました。そこから「レトロ印刷」というのが始まりました。「レトロな印刷の風合い」ということで商標登録もしました。

モトヤ→その当時の本店はここなんですか?

山川社長→いえ違います。2つ前のお店ですね。

モトヤ→そのお店はここと同じようにワークスペースやショップなどがあったのですか?

山川社長→いえ、その当時のお店はリソグラフだけしか置いてなくて、印刷物は集配していました。そして、ひとつ前のお店からやっとネットを通じて受注・発送をし始めるようになりました。

モトヤ→今いるお店のレイアウトは素晴らしいですね。ワークスペースとショップがワンフロアに配置されています。実際に作業しているところが見れるので感情移入しやすいですし、インクの匂いもしてきたりして制作のリアリティがありますね。

山川社長→このレイアウトは全てスタッフが考えてくれるんですよ。

広いワークスペース

 

次回に続く


JAM

台湾JAM

 

 



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