第2回 JAM様 山川正則社長
ストーリー3「JAM airline 前編 ~クリエイターから台湾JAMの社長へ~」
モトヤ→今回と次回は特別編の台湾JAMのストーリーをお届けします。台湾に「RETORO印刷JAM」オープンしたのは2016年です。今日は特別ゲストとして台湾JAM社長のNomiiさんも入っていただきお話しをうかがいます。最初はどんな感じだったんですか。
台湾JAM店内
山川社長→お店の場所選びですね。日本からスタッフ1名と僕ら創業者2人の3人で行って、1週間で場所を今のところに決めてきたんです。
モトヤ→そしてNomiiさんはお店ができてすぐにJAMに入られたのですか。
Nomii→お店ができたのが3月で、5月から勤めだしました。
モトヤ→外国の会社のお店でまたすぐ無くなっしまうかもしれないのになぜ応募したんですか。
山川社長→そうですね。JAMのことは何で知ったの?
Nomii→じゃあ、こっち(私)の話します?
山川社長→はいはい、今日はそうなんだよ。
モトヤ→ぜひお願いします。
Nomii→じゃあ、ちょっと説明させていただきます。
山川社長→日本語もばっちりなので大丈夫ですよ。
Nomii→でも山川社長とは(これまでの人生)全然違う経験をしてきたと思います。私はクリエイター出身なので考え方がまず違います。えっと、私がまだ大学院のときに授業の宿題でうさぎの文字を描いて、日本のデザインTシャツグラニフ(graniph)っていうTシャツ屋さんのコンペっていうか、Tシャツの賞を全世界から応募を募ったというのがあったんです。
まぁなんとなく、全然専門でもないんですけど、絵を描くのが好きなだけで、デザインも全然専門のひとじゃないんですけど、応募したら金賞をもらったんです。それで100万円の賞金をもらいました。
モトヤ→金賞って、No.1っていうことですか。
Nomii→はい、No.1です。ひとりしかいないです。そのとき約5000人応募があったそうです。それが2008年のことです。そして、そのブランドでTシャツがつくられました。それがきっかけです。
もともと日本が好きで、旅行も何回も来ました。東京とか北海道とか。そして将来は100回くらい日本に来たいとか考えたんですけど。そんな賞をもらって「なにか私でも出来ることがあるかなぁ」と思い東京へ留学を決めて、イラストレーションの専門学校で学びました。
そのあと東京のギャラリーで働いて5年半くらい東京にいました。そのときの趣味が外へ出たときにフリーペーパーとかかわいいポストカードをなんかを集めてることだったんです。それであるとき「あれ、私の好きなかわいいポスターは結局レトロ印刷JAMという印刷会社がつくったものなんだ」って初めて気づきました。それはなんかこうオフセットと違う特殊な感じでした。
モトヤ→そのとき東京にお店はあったんですか。
山川社長→無かったです。東京方面への販売はネットでしかやってなかったです。
Nomii→ギャラリーの展示もやってたのですが、ポストカードも注文しました。
山川社長→「えっ、注文してくれたん」
Nomii→「しましたよ。2種類のポストカード。いまもあるかなぁ」
モトヤ→JAMという名前は知ってたんですか。
Nomii→はい、(ネットで)検索して。
モトヤ→なるほど、ひとりのお客さまとして先に知ってたということですね。
Nomii→そうですね。それが最初ですね。その後、台湾に帰って最初はイラストレーターとして自分のブランドを作りたいと思いました。事務所を借りて1年ぐらいだったんですけど、当時の台湾の状況は日本とちょっと違ってました。
日本だと絵を描くひと、出版社のひと、印刷会社のひと、ギャラリーのひとなどみんな役割分担がキッチリできていますけど、台湾はまたそんなのは始めたばかりで「ちょっと、これ難しいなぁ」と思いました。まして、これで食べていくなんていうのは無理でした。
そうしたころある日ネットで検索していたら、JAMが台湾に来るという情報を見つけました。「あれは募集の記事だったかなぁ」。
山川社長→そうですね。うちは日本の場合と同じで広告は出さないですので、多分、TwitterかFacebookでスタッフ募集の記事を載せたんだと思います。
Nomii→それを見て「ちょっと行ってみようかなぁ」と思いました。
山川社長→あ、そうだそのとき日本で台湾用にFacebookを作ったんです。まだ最初のころ。そうしたらFacebookが台湾で「いいね」が異常なくらい増えたんです。1万くらいかな。そのとき多少台湾で知名度が上がったかもしれないです。
モトヤ→お店は首都の台北市にあるんですよね。台湾といっても広いですよね。高雄なんか行くときは台湾高速鉄道(日本でいう新幹線)に乗ったりするくらいですから。そのあたりは問題なかったのですか。
山川社長→いや、それに関しては、最初、日本のJAMは大阪でやってるじゃないですか。東京はあとからできたんですよ。なんていうかな「大阪」なんですよ。アジアは「大阪」って最初から決めてるんですよ。
モトヤ→あ、その話、前にお聞きしましたね。海外進出する場合のJAM独自の考え方ですね。アメリカ、アジア、ヨーロッパと世界を3分割でとらえるというお話。それで、アメリカは確かサンフランシスコでしたが、アジアは「大阪」だったんですね。
山川社長→そうなんです。それで「大阪」があったときに、台湾の首都は「台北」なんです。どこか「東京」っぽい。じゃあ「大阪」はとなったときに、まぁ私独自のイメージかも知れませんが「高雄」っていうのがありました。それで、最初はそちらに出店しようかなと考えていました。
それでいろいろ検討したところ、やはり、台北より高雄は人口も少なくいろいろな代理店さんなどもみんな台北にいます。よくよくビジネスとして考えたら「ちょっとしんどいなぁ」ということになりそのとき「台北」と決めました。
モトヤ→じゃあ募集も勤務地は「台北」だったんですね。Nomiiさんも台北なんですか。
Nomii→はい台北出身です。「高雄」だったら応募してないかもしれない。ちょっと遠いです。
山川社長→そりゃあ、無理、無理。そういう意味では「台北」で正解でした。
モトヤ→実際の応募はどうされたんですか。
Nomii→実は台湾のTwitterでは締切が過ぎていたんです。しかしその記事を見てメールで問い合わせをしたんです。それで「それじゃあ一応来てください」ということになったんです。Facebookの方の記事はもう消えてました。
山川社長→僕はそのとき日本にいてまして。その時、勤めていた日本人スタッフの面接をしてもいましたね。条件は日本語がしゃべれるということでした。
Nomii→そのとき自分の中でやりたかったことはスタジオみたいなものを作りたいと思っていて、シルクスクリーンはまだ「スリマッカ」がなかったときに「Tシャツくん」を使って自分のトートバックを作ったりしてました。※Tシャツくんはホリゾン・ジャパン株式会社の商品です
これを使っていっぱい自分のグッズを作ってました。それで自分のスタジオがあってそこで自分の作品をつくりながらそこにお客さんが来るみたいなことを何となく思ってました。当時まだスリマッカが日本で発売を開始したばっかりだったんです。それで、私は電話をしたことがありました。「どうやって買えるんですか」と。
山川社長→スリマッカを発売した時期と台湾に進出したときがよく似た時期なんですよ。タッチの差でスリマッカの方が早かったかな。
モトヤ→台湾のお店もここと同じようにワークスペースとショップが隣接したような作りなのですか。
Nomii→そうです。同じです。だから応募して最初は普通のスタッフとして働いてました。そしてだんだんなぜか店長になってしまいました。
モトヤ→台湾のお客さんはJAMさんの印刷物の受け止め方は日本と同じなのですか。
Nomii→台湾の場合は少し日本と違います。日本の場合は最初「RETORO印刷(リソグラフ印刷注文)」があって「スリマッカ(シルクスクリーンサービス)」は後から提供されたと思うんです。
台湾は先に「スリマッカ」があって、その半年後にリソグラフが入って「RETORO印刷」が来ました。だから最初の3、4年はJAMというのは「スリマッカ」のイメージが強かったですよ。
台湾JAMのチラシ
山川社長→「スリマッカ」も枠を組み立てたりして行うので革新的なイメージがあったのかな。
Nomii→今年3月で6周年、現在7年目になります。今利用状況はRETORO印刷とスリマッカの割合は半々ぐらいです。
モトヤ→お客さまは一般の方が多いのですか。
Nomii→クリエイターの方が多い、メインです。自分の作品を作ったりしてます。今の2つの部門で見るとRETORO印刷は本当に80%位がクリエイターさんです。あとはデザイナーさんなどです。やっぱりRETORO印刷は一回の印刷量が多いので普通の人は利用しにくいかも知れません。
そんなに名刺も量がいらないし。でもスリマッカの方はクリエイターじゃない一般の人、友達の誕生日にプレゼントとして作るとか、家族づれで子供の絵を描いてとかそういうのが多いかもしれません。
山川社長→同じ孔版でも客層が違うというか、いいバランスがとれていると思います。尖がった人がRETORO印刷でつくったりするのとかって難しいというかややこしいです。でも遊び心があってよく見たらすごくメッセージ性が高くていいと。
一般の人には作れるか作れないかいうのは二の次です。一方でスリマッカの方は手書きでできたりするので、逆に自分で刷るので身近に感じると思うですよね。こういったところが幅広い顧客に使っていただけるという要素ですね。この両輪でうまくバランスがとれればと思います。
Nomii→そうですね、スリマッカのほうは幅広くいろんな人に利用してもらいたいと思って無料のワークショップをしていたんです。それがだんだん口コミで広がって最終1日に100人来たっていうことがありました。
最初は「なにそれ~」みたいな感じなんですけど、そして実際やってみたら「楽し~い」「もっと刷りた~い」って気持ちになるんですよ。台湾の人っていうのは結構そういうDIYっていうのが好きな人が多いので、丁度いいタイミングで出店したと思います。
台湾JAMワークショップの様子
台湾JAM