第1回 明晃印刷様 第1章「卒業」

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第1回 明晃印刷様 髙崎健治社長

今回からはじまります「ペーパー」。「印刷と人」のストーリーです。これから毎回、印刷に関わる人をさまざまな切り口で紹介していきます。

第1回は、創業69年目を迎える大阪の活版印刷会社 明晃印刷株式会社 髙崎健治社長です。最近ではコロナ禍で疫病から人々を守るとされる妖怪「アマビエ」をモチーフとした活版印刷を制作し話題を提供されています。またテレビにも多数出演されています。
それでは髙崎社長の新しい発想とアイデアによる変化に富んだ人生を通じて、印刷の過去から現在を振り返ってみたいと思います。

明晃印刷株式会社

第1章「卒業」

親父が印刷屋さんというだけでしかなかったんですね。であんまり勉強も好きじゃなかった。進学校に行ってて僕だけでした。18歳で高校をでた後、みんな大学へ行くという流れやった。そこで学校の先生にいちばん最初に言われたのは「おまえ、高卒やで、将来高卒やったら絶対後悔するでっ」て言われました。それより社会へ出たかったので「それでもいいよっ」て言って社会にでました。

みんなが大学生活を優雅に過ごしている時に僕は社会の荒波に揉まれて、自分で事業っていうかどういう風にお金を稼いでいこうかなって色々考えてました。その時、親父や母親は印刷会社をやっていたんですけど、それにはあまり興味はなかったです。それより何か商売をやっていきたかったです。とは言っても、まぁ、ひとりでビジネスっていうのはできないので横のつながりをつくりたかったんですよ。そこで何か人脈をつくりたいという思いからつくったのが異業種交流会でした。

モトヤ→その頃はいまほどインターネットが普及していなかったと思うのですが、その当時、異業種交流会というのはどんな感じでしていたのですか。

「梅田で飲みましょう会」というのをつくりました。「インターネットを使って交流しませんか、仕事を終わってからみんなで集まって飲みませんか」みたいな集まりです。そうすると女の子も男の子もいろんな人が集まってきました。

モトヤ→それはリアルの世界でやるんですよね。

あの当時「掲示板」というのがありました。インターネットで。

モトヤ→あ、インターネット掲示板ですか。ヤフージオシティーズとかありましたね。

そうそう。Yahoo掲示板です。そこでキーワード「梅田」で「〇〇時にみんなで集まりませんか」みたいな感じです。よく見ていられてて、よくみんな集まってきました。年齢層も幅広かったです。社長さん、おじいちゃん、若い子とか。もう、いろんな人が集まってきました。

モトヤ→それには、当然、仕事色は出さないんですよね。

はい、全くないです。だから全く何の仕事をしてるかわからない状態です。まぁ今の交流会はいろんなビジネスが絡んでますけど。その時は「まぁ飲もうヤァ」みたいなノリで集めました。なぜそれを作りたかったかというと、私がいちばん最初に人脈を作りたいと考えていた頃、ある人に保険会社の異業種交流会に連れていかれたんです。

そこで参加してみていろいろな方に繋がるのが面白くて、次の2回目に行ったときには僕の友達にいっぱい連れて行ったんですよ。すると主催者にえらく怒られました。1業種1社やと。なんか縛りがあったみたいで。僕が連れて行った友達は2社ぐらい業種がかぶっていたようでした。それは主催者側が業種ごとに仕事につながった場合を想定してあらかじめ振り分けておくという考えがあったようでした。それやったらなんか広がりも無いので面白くないなぁ。じゃあ自分でやろうということで、梅田の飲み会に繋がるわけです。

活版多色印刷







次回に続く

 

 



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